プレハブの湯「森温泉」-元経営者、慰霊「銘板」特別枠で追加へ

阪神大震災】被災者癒やしたプレハブの湯「森温泉」 元経営者、慰霊「銘板」特別枠で追加へ 

 

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2017年12月12日 14時37分 産経新聞
阪神大震災から半年後にプレハブで再開した森温泉(遺族提供)
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 平成7年の阪神大震災で被災後、神戸市東灘区でプレハブの仮設銭湯を営み、26年に心筋梗塞で死去した立花武さん=当時(81)が、同市中央区の東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」の犠牲者らの名前を刻んだ銘板に「特別枠」として加わることになった。

 被災者らの心身を癒やし続けたことが評価された。17日の銘板追加式を前に、立花さんの長男、隆さん(56)は「おやじの生きた証しを残すことができてよかった」と語る。(小松大騎)

 隆さんらによると、立花さんが東灘区森南町で経営していた銭湯「森温泉」は昭和36年、立花さんの父親が開業。2代目の立花さんが平成2年ごろ、約1億円をかけてサウナや気泡風呂を設けるなど大改修した。だが、震災で煙突が折れるなど銭湯は全壊し、休業に追い込まれた。

 妻の由紀恵さん(77)とともに近くの公園で避難生活を送る中、「風呂屋はやめや」と寂しそうに話す立花さんの姿を隆さんは忘れられない。先行きがみえない現状に酒が手放せなくなっていた。

 そんな中、常連客から「また風呂屋やってや」などと声をかけられることが増えた。最初は生返事を繰り返していたものの、奇跡的に浴槽などは被害を免れていたことが判明。「これで何とかなる」と震災から半年後、もとの場所にプレハブの仮設銭湯を建てて営業を再開させた。以降約11年もの間、経営者として被災者らに憩いの場を提供し続けた。

 立花さんが糖尿病などで体調を崩し、隆さんは18年、脱サラして経営を引き継いだ。代替わりを機に、退職金や借金などで工面した約3億円で、プレハブで営業を続けてきた銭湯を改装した。だが、立花さんは一線を退いた後も「森温泉は震災でお世話になった人たちで作った銭湯や」と口癖のように言った。立花さんの“経営精神”が引き継がれた銭湯には、20年来の常連客が今でも顔を出す。

 立花さんが亡くなったのは26年11月。心筋梗塞で救急搬送され、約2カ月後に息を引き取った。隆さんらに宛てた遺言書には「厳しい仕事だが、お客さんのために頑張ってくれ」と書かれていた。震災で傷ついた住民のために生きた父親のために何かできないか-。そう考えていた最中、常連客から銘板に特別枠が存在することを知らされた。

 今年1月、モニュメントを管理する運営委員会に申し出て、9月に書類を提出。審査を経て特別枠での追加が決まった。隆さんは「少しは親孝行になったかな」と笑顔をみせる。

 17日は由紀恵さんと一緒に銘板追加式に出席する。「おやじの銭湯を守り続けているよ。これから1年でも長く頑張るから見守っていてください」。立花さんにこう報告するつもりだ。

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 ■慰霊と復興のモニュメント 阪神大震災の犠牲者追悼の場などとして、神戸市が平成12年、寄付金約1億5千万円を充て同市中央区の東遊園地に整備。半地下の「瞑想(めいそう)空間」に現在、犠牲者ら4995人の名前を記した銘板が掲示されている。当初は市内の犠牲者だけだったが、15年12月以降は市外の犠牲者や震災の心労で亡くなった人、復興に貢献した人らも加えられるようになった。

 

産経新聞

http://www.sankei.com/west/news/171212/wst1712120060-n1.html

 

震災で傷ついた体や心を沢山癒やしてくれたお風呂屋さんですもんね、

きっと、癒やされた方々の心の中で永遠に忘れられることは無いでしょう!